夕陽差す放課後、散らばったチョーク
疲れた
疲れてしまった
いろんなことに疲れたときに、僕はこのブログを開く。
誰も見ていないからだ。見ているとしても、僕を全肯定してくれるような優しい人だ。
いつのまにか勝手に自分にかけたプレッシャーから、
今日はいい言葉が浮かばない、と夜寝る前に悩み寝付けなくなるときがある。
このブログには駄文、悪文を連ねる。ボールペンで書いて、あー間違った、となったらシャッシャッと横棒2本重ねるような速度で連ねる。
この文章には写真を挟み込む余裕もない、本当にただただなぐり書きを連ねる。
何を書こうかも決まっていない。そうだ、これまでの人生を語る上で欠かせない
3人の女性の話をしよう。
20余年、老いてからみれば若い頃はそんな時期もあったなあ、と
いわば『黒歴史』と呼ぶのだろうが、そんな未熟者の僕にも忘れられない女性がいる。
一人目は、僕に性を教えてくれた人
二人目は、僕に音楽を教えてくれた人
三人目は、僕に恋を教えてくれた人
一人目、名前は何にしよう。夕陽ちゃんにしよう。
夕陽とは高校2年のときに仲良くなった。放課後、部活もせずだらだらと過ごす
茜色刺す教室での時間、男4人、女3人くらいでいつも一緒にいたのだ。
男友達はドラムのスティックを少年ジャンプに打ち付けて
組んでいるバンドの練習をしているやつ、ギターをかき鳴らしその時はやっていた
Janne Da Arcの歌を歌っているやつ、他校の彼女を待ってるやつがいた。
僕は教室のチョークを一番うしろの席から黒板に投げつけて割って遊んでいた。
散らばったチョークをスリッパで踏んで、広げて、教壇を真っ白に染めていた。
今思えば頭おかしいが、当時はそれが楽しかった。
毎日過ごす無限とも感じられる17時から19時。
【青春】と呼ぶにはあまりに色気のない毎日で
僕は夕陽と仲良くなった。
学年1スカートが短く、スラッと伸びた細い脚がきれいな
ショートボブの女の子だった。笑ったときに目がなくなるところが可愛かった。
誰でも言えそうな言葉を書いていて自分でも寒気がしてきた。
『センター分け似合わないと思うよ、流したほうがいい。』と夕陽に言われた次の日から、僕は前髪を横に流し、2009年にはマッシュヘアを先取りしていた。
夕陽は服のセンスがよく、僕らが育った片田舎では少し浮くくらいだった。
少しでも夕陽にダサいと思われたくない一心で、僕は雑誌を買い漁ったり、古着屋に足繁く通ったりした。僕は夕陽に一生懸命だった。
それでも僕は夕陽と付き合わなかった。付き合おうと言われても断っていた。
なぜか。
元カノのことが忘れられない、と言っているのが楽だったからだ。
僕は初恋を失ったあとから、とかく『別れ』というのが苦手になった。
夕陽と付き合いたい、よりも 夕陽と別れたくない という思いが僕をそうさせた。
夕陽は度々泣いた。高校2年生で《セフレ》という不名誉な称号を彼女に授けてしまったのだ。
『どうせ私はセフレだから、嫉妬する権利もないし、束縛する権利もない、風邪引いても心配していいのかわからないし、私のわがままなんて言えるわけない。』
そうやって泣いた。
自分のせいでこうなっているのに『ごめんね』というのもおかしいなと思い
その時僕は『でも夕陽が嫌になったらいつでも他の人に行っていいから』と
クソ男の模範解答を呟いていた。
高校2年生らしくカラオケや漫画喫茶でいろんなことをした。
あの頃の密室の価値は、この年になっていくら払おうとも得られない価値だった。
今でも帰省した時そのカラオケの側を通ると目を背けたくなる。
いい思い出にはできていない。カラオケで僕が福山雅治のはつ恋を歌うと夕陽は泣いた。
“恋人には戻れないことも. わかってるよ でもこの真心を 永遠の恋と呼ばせて. せめて はつ恋と呼ばせて.”
恋人にさえなれない2人でこの歌を歌って泣いていた。
ドリンクバーの烏龍茶を投げられて僕の制服が濡れたことを覚えている。
しばらくして、夕陽にちゃんと好きな人ができて、ちゃんと彼氏になって、
僕とは卒業までほとんど話さなくなって終わった。
何も美談じゃない。僕の高校時代はおおかた、この負の思い出の中にあって
彼女の初めての話は、僕みたいな自己防衛男のせいで
美しく清らかな思い出にはならなかった。
夕陽は今年、高校時代の僕の親友と結婚した。
もちろんその親友とも疎遠だ。ふたりにおめでとうを言えることはない。
おめでとうもごめんなさいも言えないまま、僕は東京で毎日を重ねて、消費して
それに変わる言葉を探している。美談じゃない高校時代の話。
一人目の忘れられない人の話。
二人目、三人目は、また気分が向いたら。
フィクションに決まってんだろ。真面目に読んで損した?知らんよ。
フィクションにしたいんだよ。全部。
おやすみ。